春の到来を知らせる弥生賞。
サクラホクトオーが雨の中山に沈んだのは、今から29年前。
私が初めて競馬を知った日。
初めて見たレースが波乱だったことで、競馬が私の中に住み着いたともいえる。
もし晴・良馬場であれば・・・
サクラホクトオー勝利の順当決着で、私の心に競馬は残らなかったのだろうか。
競馬を知らなければ、どんな人生になったのだろうか。
競馬で1,000万円負ける事実は消えるのだが、一口会員ながら東京競馬場のウイナーズサークルに立つ喜びを知らない男になる。
競馬をやらなければ、20代で恋愛や出会いがあったかもしれないが、そうなると妻と出会うことはなかった。
妻との出会いは競馬とラジオとプロ野球の絶妙なバランスであり、それを思うと自分の人生のベストは何かというのは、永遠にわからない。
「ああすれば・・・こうすれば・・・」と悔いてばっかりの人生でも、神様の視界から見ると実はベストの道を歩んでいるかもしれないのである。
そう考えると、競馬で負けて負けて負けまくって、ついにやめざるを得ない状況に陥っていたとしても、悲観する必要はない。
競馬をやめて2ヶ月。
競馬でいろんな経験をしてきたが、悪い経験も活かしたい。
一番多く賭けたのは20万円であるが、これは成功した。
それがよくなかった。一見ベストだが長い目で見るとよくない経験だった。
負けたレースで一番多く賭けたのが10万円である。
最後に10万円を賭けたのは、昨年の12月10日・阪神12Rのピースマーク。
ちょっと勝つのは厳しいかなと思ったが、その週の負けを挽回するには、この馬の前残りに望みを託すしかなかった。
1400m専門の馬が1200mに短縮していい方に変わることを願った。
PATで金額入力するとき、1000円と100000円でもゼロ2つ分違うだけで、入力できてしまう。
力任せに入れてしまえば迷うこともない。
この入力時の心理を理解できる人は、どれくらいいるのだろうか。
もう非常に追い詰められた状態だったが、ピースマークは1200でもハナに立った。
一番恐れていたのが、スピード負けしてハナに行けないことだったが、そこはクリア。
そして直線でもあわやという粘りを見せる。
しかしこんなときに限って人気薄のヤマニンアンプリメが豪快に差し切り、私の10万円は散った。
ゴール前100mで敗北を認めざるを得ないあの瞬間のやっちまった感は強烈だ。
同時に自分の予想の限界を感じたレースでもあった。
ここでヤマニンアンプリメに10万円行くくらいの分析力や勇気がないと、競馬で勝てる人間にはなれないと感じた。
少なくとも、ヤマニンアンプリメは前走内容や500万勝ちの相手関係を見ると、勝負になる馬というのはよく見ているファンなら気付く。
しかし、追い込みでテン乗りの鮫島で・・・しかも人気薄となると、やはり買えない。
ピースマークを買った当時の自分を責めることはできないのである。
こういった経験を、何らかの形でこれからの人生に活かしたいものだと思う。
確かに、もうあんな経験はしたくないと競馬を断っていることで活かしているともいえるが、もっと前向きな形で。