2日たっても
逃した魚の大きさを悔いて、そんなに後悔するんだったら買っとけよと自分でも情けなくなる、火曜日の夜である。
今の気持ちを騎手目線で文書化すると
「ダービーで3番人気の馬に乗り、スタート直後に落馬してしまった」騎手の気持ちと同じくらいだろうか。
配当(騎手目線だと賞金)はもちろん、もう二度とないかもしれないチャンスを自らのミスで逃してしまい、失望の底にいるようなものである。
そんな自分を
癒してくれるのが、あろうことか仕事である。
さすがにお客様と電話したり、対面したりしているときは競馬のことは忘れる。
時間に追われているときも競馬のことは忘れる。
そうして1日が終わると、少しホッとする。
競馬で溜まりに溜まったストレスを仕事で発散するというのは予想外だった。
ストレスがもっと溜まると思ったのに・・・
それだけ競馬で当てないといけないというプレッシャーがすごいのだろう。
早くも自分の頭を、『38万円の配当を逃してしまった』という事実から、『1日で8万円負けてしまった』というふうにシフトしないといけないと思う。
これ、38万円だからまだいいようなものの、WIN5で3億8000万円をわずかな決断ミスで逃したとかなったら、もうどうなってしまうのだろうか。
今さらながら、賭け事の恐ろしさを垣間見た気がする。
8万円賭けた以上、8万円失うかもというのは、賭ける前に分かっていることである。
私の中では、最悪ダメでも(当たる気満々だが)まだダービーで儲けたお金は残っているので、生活に即響くことはないという判断があった。
しかし
これが38万とか、仮にも3億8000万円とかになると話は一変する。
失った(と感じてしまう)金額がまったく想定外の大金になってしまうのだ。
取れたはずのものが取れなかったダメージは大きい。
・出遅れ
・挟まれ
・ハナ差届かず
このへんは、賭ける側がどうこうできる問題ではないので、一時的なダメージはあるが、最後は賭けた自分が悪いと思えるようになる。
一方で
・思いと一致しない買い目
・なぜか消してしまった
・買い間違い
・締切に間に合わない
こういうのはダメージが大きく、挽回しないとという気持ちがどんどん膨らんでいく。
のめりこむきっかけとなるし、いつまでも前向きな気持ちになれない。
人生が狂いかねない。
まるっきり外れたほうがよっぽどマシだ。
その証拠に、雷光特別のオーバースペックのハズレについては私の中でまったく無問題である。
とはいえ・・・
これも競馬の難しさなのかなと少しずつ思えるようになってきた。
雷光特別でミルファームの馬は4頭出していたが、全滅である。
通常は来なくて当たり前なのが、ミルファームの馬である(失礼な話だが・・・)
もっと望みがあれば、こんな380倍の馬券は誕生しないはずである。
盲点だったという思いもあるが、盲点が見えたらそれは盲点ではないので・・・
元広島カープ・黒田博樹さんが書いたとおり、自分で選んだ道が正解となるように努力することが大切なのだと思えるようになった。
このことをきっかけに仕事を頑張り、年収を増やすことも正解の一つであろう。
このことをきっかけに競馬を再度止めなおすことも正解の一つであろう。
仕事で最後の最後まで気を抜かないと心がけるのも正解の一つかもしれない。
頑張れ自分!立ち上がれ自分!という気持ちである。