競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

2020年最後の競馬、もう精一杯やるしかない

どうも

この時期になると、心のブレーキ機能の調子が悪くなる。

土曜競馬は、中山7Rからのスタートとなったが、見てのとおり不完全燃焼な結果に終わってしまった。

なんか、それで心の中の抑えていた気持ちというか、自制心が全てぶっ飛んだ。

まぁ「全て」というと大げさなのだが、感情のダムが決壊した感じである。

阪神7R以降、最終まで全レースやった。

間違っていることは分かっている、競馬は負の感情という名のゴミの吐き捨て場ではないことも分かっている。私が何を求めようが、馬も騎手もこたえてくれないことも分かっている。

でも、僕には、賭けるという選択しかなかった。

一方では「まだ懲りないのか」と言われ、また他方からは「この程度の額で自分に酔ってんじゃないよ」と言われている気がしてならない。

それでも止められないんだ、この感情。

世間一般の正常な心を持った人にとって、ギャンブル障害の人間が賭けているときのイメージって、きっと殺気立って、興奮して、我を忘れて金をブチこむような感じを想像していると思う。

あくまでも私の姿だが、とても冷静で、穏やかな表情をしているのに、なんというのかな静かな闘志というか、いや闘志でもないな、自然に、引き込まれるように、パソコン上で大金を投入してしまうのである。

そして、なんかホッとするのである。

覚せい剤に飢えた人間が、暗い静かな部屋で、注射針を刺した直後の表情もこんな感じなのかなと思う。

私の場合、投票完了してからレースを迎えるまでが、夢を見られる心穏やかな時間となる。

書いて思ったが、賭けただけで満足してしまっている、一番なってはいけない状況である。

そして最近の私は、ゲートインのとき、いやな感情・不安な感情しか湧いてこない。

また出遅れるんじゃないか、行き脚がつかないんじゃないか、そしてまたヤラズをされるんじゃないか、そんな不安ばかりが頭をよぎる。

それが的中することもあるし、もっとタチが悪いのが、好発を決めたのにそれをまったく生かしていないシーンを見せられることである。あるいはせっかく前に行けても、そんなときに限って、激しいハナ争いが繰り広げられるのである。

そして日曜の夕方、覚せい剤は効き目を失い、息苦しく、一晩中後悔に襲われることになるのである。

次の覚せい剤を手に入れるために、月曜から働き続けることになる。

もうそのとき、家族のことを思う気持ちは吹き飛んでいる。

たまに、クスリを断ち切ってみようと決意したこともあったが、その結果、頭の中はますますクスリのことで覆い尽くされることになる。

仕事に追い詰められ、借金に追いかけられ、そしてさらに今年はコロナ禍に包み込まれて、2020年がまもなく終わろうとしている。

とにかく

忌まわしくて、到底納得がいかなくて、理不尽極まりない1年だったが、もう最後である。存分に浸かってみようと思う。

日曜競馬の計24レース、1レース4,000円で全部やってみようと思う。

西田騎手のことは気になるが、先週のヒロミが私にとっての大勝負で心の区切り。とはいっても心が揺らいでしまうかもな。追加しちゃうかも。

控除率

一点集中でも、全レース参戦でも同じだよ。入れた分だけ天引きされるんだ。

自信があるレースだけ?

自分にとって自信があるレースは周りの賭け手だって自信があるんだよ。なんだか分からないレースだけど経験と自分の気持ちを信じて勝負することで、道が開けるんじゃないのかな。

と、レース前は滅法威勢がよいのも、ギャンブル障害の人間の特徴である。