見てのとおり
日曜競馬も全く精彩を欠き、あっさり土俵を割ってしまった。
まったく抵抗できなかった。負けるにしても、もう少し粘りたかったが。
これで昨年暮れ&新年に立てた、私の目標も木っ端みじんに粉砕となってしまった。
明日も中央競馬があるとか・・・もうどこに心を置けばいいのか全く分からない。
そんな私の
心境を知りたい方がけっこう多いようなので、勘弁してよと思うが綴ってみる。
実は、何もしないでいることのほうが、もっとしんどいというのが本音。
批判もあるだろうが書く。
正直、明日の競馬をなんとかできないかと、そのことで頭がいっぱいである。
単複100円ずつでもいいから、やりたいというのが偽らざる本心である。
それなら、年の初めにそう決意すればよかったじゃないか?
100人いたら99人は、そう考えると思う。
ただ
僕はやっぱり現実逃避したかったんだと思う。
仕事での嫌なことも、家に帰っても最近はセックスのセの字もないことも、そしてカードローン300万のことも・・・
全てを解消させるには、競馬で勝つしかない、3連単で一発決めるしかない、その思いしかなかった。
そして忌まわしい2020年を、とりあえず断ち切らないといけないと思い、年末年始の地方競馬は完全に断ち切ることができた。
何はともあれ、前回の年末年始と同じ過ちを犯すことはなかった。
でも、それだけのことだった。
本当は地方競馬を断ち切って、いろいろ自分の馬券観を見直すための研究をいろいろしたいなと思っていた。
でも、なかなかそれはできなかった。
休みとなれば、いろいろ家事も担わないといけないし、たまっていた疲れもあって横になる時間も増えた。
気付けば、息子も6歳。自転車の練習もしないとだし、縄跳びもできるようになりたいと言う。
だから、やるべきことをやろうとすると、地方競馬まで辿り着かないという感じの毎日が続いた。
ずっと仕事と競馬と借金で頭が凝り固まってしまったせいか、気分を緩めようとしてもなかなか、気持ちをコントロールできない毎日だったし、気持ちに余裕がなくなると行動力もどんどん鈍くなる。
私は毎年、年越しそば用のエビ天を買ってくるのだが、妙に余裕をぶっこいて、なんか出発が遅くなってしまい、結局、頼まれていたエビ天3本を買ってくることができなかった。
何カ所か回っても、想像以上の混雑で、結果として買ってきたのは、かき揚げ天4枚。
心にいろいろ考える余裕を与えておけば、今年はコロナ禍で例年と状況が違うかもしれない、前年より早めに買いにいこうとか、そういう閃きがどんどん湧いてくるのだろうが、もう気持ちも状況も何もかもギリギリな状況になってしまっているので、そういう咄嗟の閃きが湧かない、枯れ果てた状況になってしまった。
あと、なぜ4枚買うことなったかというと、2枚で1パックのものしか置いていなかったから。それが結構自分の心には堪えた。
私の今日の馬券と比べたら、1枚余分に買うことなんて気にしなくてもいいはずなのに、すごく余分なお金を使ってしまったと、後ろめたい気持ちになってしまって。
頼まれたとおり、エビ天3本買ってレシートを渡せば、妻はきちんとお金を渡してくれるのだが、頼まれたものも買えず、数量も頼まれた以上になってしまい、結局自腹を切るしかないなと。
まともに買い物もできない人間に落ちぶれてしまったのかと、落ち込んだのを思い出してしまった。
その結果
年末年始で、自分の競馬観を見直すことができないまま、金杯の日を迎えてしまったというのが現実。
買い方だけリニューアルしたけど、CPUはそのままなわけだから、1月4日夜は時間に追われた予想になってしまった。とてもしんどかったし、結果も出なかった。
ギャンブルホリデーとか、さも偉そうに年末年始のブログでは綴ってしまったが、私の心のギャンブルマグマは収まることがなく、沸騰寸前状態で、なんか訳もわからぬまま、金杯の日の予想をしていたというのが、今振り返れば思うことである。
それなら、レースを絞るなり、金額を絞るなりすればよかったじゃないか?
と一般の気持ちを持っている方なら、思うだろう。
これはギャンブル障害だからか、私の意固地な性格だからなのか、もう今となっては分からないのだが、もうとにかくやるしかないという気持ちがどうしても変えられない。
なんでしょうね、競馬予想以外の判断力が全部マヒしてしまっているというか・・・
レースを絞る、金額を絞るといっても、じゃどう絞ればいいのか?分からないな?どうすっか?そんなの考えている暇あったらとっとと予想するしかねぇだろ、とにかくやるしかないだろう!
こんな感じである。
まぁ、それでも自分の経験や直感を信じ、そのまま馬券に反映できればまたいいのだが、悲しいかな追い詰められている状況になると、私の頭の中には「なんとか当てなきゃ成人ならぬ星人」が出現し、私の馬券を微妙に塗り替えていくのだ。
そうして完成した馬券は、私の思いを結集した馬券からは微妙にズレたものとなり、結果的にゲートが開いた時や、レース中に、あるいはゴール後に猛烈な後悔を私にもたらす。
金杯の日もそうだった。
終わってみると
最近特に、自分の馬券に一貫性がないなと思う。
先週までの狙い方だったら仕留められたのに、今日は目が行きわたらなかったとか、5レースでこの馬狙ったんだったら、4レースもこの馬買うべきなんじゃないの?というのがものすごく多い。
気持ちばっかり焦って、馬柱とか目に見える情報ばっかり拘ってしまって、遊び心というか閃きというか、そういうのが浮かんでくるための心の余裕がまったくないからなのかなと思う。
競馬というのは、知識や価値観だけでなく、自分が出した結論を信じ抜いて馬券化する力だったり、もっと言ってしまうと、それが実現できるメンタルを維持できて、金銭的にも賄うことができて、あとは馬柱を単に見ただけでは見えない情報とかを洞察できる力(それが閃きなのかな)があって、それに最後は運という要素が加わって、ようやく的中に至るのかなと思う。
あと、知識や価値観はレース数をこなすことで積み重ねることができると思うが、その積み重ね方も大事なのかなと思う。
当たる可能性の少ない馬券が、たまたま当たってしまったり、1点大勝負でズバリ的中してしまったりすると、その知識や価値観が歪んだものになってしまうのかなと思う。
人気薄の馬が大逃げして圧勝してしまったりとか、馬連1点10万円勝負を決めてしまったりすると、そのときの成功体験がずーっと残ってしまって、いつまでもその価値観にとらわれてしまうことになる。
そして、得た以上のお金を失うことに・・・
もう私はそういう歪んだ経験を、あまりにも多くし過ぎてしまったし、その経験を消し去るということは、もう人生の記憶を消し去るに等しいことになってしまうので、もう歪んだまま一生背負っていくしかない。
ギャンブルは人生のスパイスのようなもの
という例え話を聞いたことがあるが、もう私は、スパイスそのものを食べ続けているような人間になってしまった。
丼ぶりにスパイスが盛られていて、本来主食である米やパンやうどん(普段の生活や仕事や家族)が小皿にちょこっと盛られているような人生になってしまった。
そんな
苦しい状態なのに、私は金杯から4日後の土曜競馬も、日曜競馬も、レース数を絞らず、金額を減らさず、そんな歪んだ人生を貫こうとした。
これは現実逃避というのに加えて、絶対負けられないというマグマが自分の中で沸騰しているからとしか説明ができない。
私はこの事象を、1番枠の逃げ馬のような状況だと思っている。
逃げ一本の馬が1番枠を引いたのは、コースロス的には申し分なくて、競りあいがなければ最高の展開を作ることができるのだが、もし他の馬が競りかけてきたり、不都合な事象が発生した場合、なんとしてでも譲るわけにはいかない、譲った瞬間に負け確定という事態になってしまうという状況でもある。
心に余裕がある馬主、調教師、騎手、あるいは賭け手であれば、まぁやるだけのことはやるけど、展開向かなければ諦めるしかないよなと考える。次走にダメージが残るようなことだけにはならないようにと考えるだろう。
でも馬主の立場で、ここで勝たないと預託料が払えないよなとか、騎手の立場で前回出遅れしてしまったから今回はなんとしてでもハナを叩かないととか、もう勝つことよりもとにかくハナを奪うことしか考えられない状況に追い込まれているとしたら・・・
賭け手だって、今日は仕事のスケジュールを合わせてやっと半休を取って競馬場に来たんだ。残り2Rしかないけど、なんとしてでも勝負しないと・・・みたいな輩もいるだろう。
そんな不安と焦りに覆われたときに限って、不都合な事象は起こる。
隣の馬にちょっと寄られたり、そして一番恐れていた外の馬がガムシャラにハナを主張してきたり・・・
それでも1番枠の逃げ馬である。バシバシ鞭をいれて、とにかく何を言われようがハナを主張するしかない。
そうして自分の形を主張することはできた。しかし向こう正面に入っても次から次へと後続がつついてくる。そして3コーナーを待たずして後退。
浦和競馬でよく見かける光景である。
そして今日の私も・・・
それにしても
今日の勝負は、いつもに増して不甲斐なかった。
エア馬券になったレースを含めても、1着ゼロ、2着1回、3着1回、4着以下22回。
朝の1レース、2レースで勝負ありと言った感じ。
中山は2桁着順続きだし、中京は4着・4着。もう徹底的に心を踏みにじられた感じである。そしてとどめは中山4R、自分の馬券の一貫性のなさとセンスのなさを痛感するレースであった。
一発逆転のチャンスはたくさん用意されていたのだが、ことごとく生かせなかった。
唯一、中京8Rのメモリーコバルトが胸を張れる予想だったか。
とは言え、エア馬券ですからねぇ・・・
あと、一番自信があって、かつ来てほしいと思ったのが、中京9Rのメイショウボサツだったが、これも来ないようでは。
無念さと、どこにぶつけていいか分からない憤りと、同じ過ちを繰り返してしまった後悔と、週明けの仕事の憂鬱さと、すべての負の感情が一斉に僕を襲ってきた。
もう
どうしようかなと思った。
以前の自分だったら、どんな手段でも月曜競馬の資金を用意するのだろうが、もうそんな気力もなくなった。
というか、そもそも手段がなくなった。
それでも悪い知恵は働くもので、私の父から息子がもらった1万円のお年玉を、半分ずつにしようと妻に言ったが、積立しようと思っていたのに・・・と言われ却下。
どうせ競馬で負けるんでしょと言われた。
ただ、スクラッチで当たった分の1,400円ならと言われたので、それをもらい、あと1,000円あれば、1レース100円ずつやれるんだけどと言ったら、1,000円渡された。
計2,400円。
でも妻は、私が先日、妻に渡したボーナスの封筒から6万円抜いたことに本当に気付いていないのだろうか。おかしいなくらいは思っているのかな。
もう、あんな行為はしたくなくて、今日僕は、はじめて競馬のお金を妻にくれと頼んだ。
多くの家庭では、夫は大なり小なり小遣いをもらうのだと思うが、私には小遣いがない。
ちょうど、結婚と同時期に、部署異動に伴い基本給が3万円ほど減ってしまい、残業代も激減してしまい、妻に話していた金額とだいぶ違う状況になってしまい、小遣いを辞退したのが事の発端。
まだ、その頃は私には財形貯金もあり、社員の持ち株会もあったので、カードローン50万の枠がもし満杯になっても、それで全然賄えると思っていた。
結婚当時は、いろいろバタバタしていたこともあって競馬をやめていたのだが、落ち着いてきて、時間に余裕ができてきた頃かな、やっぱり再開してしまった。
それで、いつのまにか競馬で小遣いを・・・という気持ちになってしまって、だんだん賭け金も本格的になってきてしまった。
それでも、その頃は調子がよくて、一番すごかったのは、秋の中山の2歳未勝利戦で、タブレットピーシーという馬の単勝を1万、さらに翌週にレッツサッチャーという馬の単勝を1万当てたことだった。
妻には1,000円当てたと伝えたのだが、これで当時のカードローンは全額返済できて、テレビと冷蔵庫を買って、しかも貯金までできて、そして妻の妊娠も分かって・・・
これからの人生、楽しいことになりそうだなと希望に満ちた時期だった。
それから
7年と3ヶ月が過ぎ、ここまで落ちぶれることになるとは思わなかった。
仕事は、どうにか以前より収入を上げることができたが、それ以外の金銭面はもうどうにもならないくらいボロボロ。
でも、その仕事だって、これはみなさん同じ、もしくはそれ以上だと思うが、やっぱりストレスは半端ないし、うまく説明できないんだけど行き詰まり感がある。
先日のニュースで、アンガールズの山根さんが、過去にパチンコで借金200万という記事が載っていたが、えっこれでニュースになるの?と思ってしまった。
ただ、書いていて思い出したのだが、そういえば去年は1度もパチンコをしなかった。
10年以上やってきて、開店から閉店まで回し続けたこともあったのに・・・
コロナ禍の影響が大きいのだが、これは自分にとって数少ない明るい材料。
あんなに依存していても、やめることはできるのだなと思う。
そう考えると
パチンコはコロナ禍でメチャクチャ叩かれたが、3競・オートのネット投票って、パチンコやカジノ以上に問題だよなと思う。
パチンコにしても、カジノにしても、外に足を運ばないとできない。しかしネット投票って家の中にある賭場なんだよな・・・
今はコロナ禍で、ステイホームの娯楽として、いい面だけがアピールされているが、ラッタッタ♪の音楽を忌まわしく思う私のような人間が、今の日本で着実に増えているんだろうなと思う。
コマーシャルを見るたびに、葵わかなさんはかわいいなと思うけど。
長々と
綴ってしまったが、これが今の私の心境である。
あとは明日の競馬をどうするか。100円競馬では、今日の分の負けを取り返すのは無理だし、そもそも時間の無駄とすら思える。
その一方で、未練タラタラの自分がいるのも確か。
100円競馬でもいいから勝ちたい。もう競馬で借金返済とかそういうのは諦めるけど、競馬で勝つことはできるんだ、自分の競馬観は間違っているわけではないんだ、というのを確認したいという思いは強い。
もし100円競馬をやるとしたら、狙い馬は明朝アップする。
なぜ全レース?という意見が多いのだが、正直、レースを絞っても成績が上がる感じがないし、レースを絞ったことによって後悔することが怖いという思いがある。