競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

今週の勝負馬 24戦0勝、これが現実で・・・

こうして

現実を突きつけられると、居ても立っても居られない日曜の夜である。

納得いかない気持ちもあるんだけど、もう何をする術もなくて・・・

夜さ恋か?と一瞬思ったが、今の私がどうにかできるような賭場ではないことくらいは、さすがに重度のギャンブル障害の私でも理解することができた。

私は過去のブログで、浦和競馬のことを魔界と言っているが、高知競馬は、もはやそんなレベルではない。私にとっては猜忌である。

できることなら、私の記憶から全て消し去りたいくらいの存在。それは無理だと分かっているんだけど・・・

昨年の大晦日に、私の心がずたずたに切り裂かれた、実に忌まわしい競馬場である。

とはいえ

ここで一生懸命に走っている馬たち、働いている人たちがいるのも事実で、その人たちの目の前で、このブログを読み上げることは無理である。

もし私が勤めている会社のことを「猜忌な存在」とか言われたら、いい気持ちはしないので。

ただギャンブル障害の私にとっては、やっぱり近寄ってはいけない世界である。苦しい夜が続く。

土日の中央競馬

タイトルにある通り、単勝の的中をひとつも決めることができなかった。

複勝で5つ的中することができたが「賭け金の4割回収できたんだから、単複併用でよかった」とは、到底思えない。

確かに、戻りがゼロよりはマシかもしれないが、あくまでも気休めくらいにしかならないなというのが偽らざる思いである。

数週やってみて、何をいまさらと言われるだろうが、単勝でも勝てて、複勝でも勝てる予想というのはムリだなと思った。

私は競馬を30年やっているのだが、知ってて当然だろうということが結構抜けている。

最後の単枠指定馬が何という馬で、とか、引退レース降着事件とか、そういう無駄な知識ばかりである。

あとは、現在全く成績が振るわない騎手が、昔、上手に乗っていたのが妙に記憶に残っていて、今も時々手を出してしまっている。

的中したときの実況とか、司会者のコメントとかは結構頭にこびりつきやすくて、記憶から抹消したいんだけど、どうしても消えないんだな。

一番こびりついているレースの日付を調べたら、2014年1月12日の中山1R。

グリーンチャンネルの坂田キャスターの「積極的な気持ちのよい騎乗でしたね」というコメントとレース映像は、全然頭から離れない。的中したときって、脳は新しいことをどんどん受け入れるような感じになるんだよな。

それが、数年たっても後遺症のように、頭の中に残ってしまうわけだ。

そのとき的中した騎手がルメール騎手だったら、どんなによかったことかと思う。よりによって・・・

ただ

過去を悔いても、もうどうしようもない。実績も記憶も消し去ることはできない。

明日の仕事に向けて、来週の競馬に向けて、気持ちを切り替えるしかないのである。

しかし、勉強する程度では、どうにもならないこともよく分かった。

単勝でも複勝でも勝てる予想は無理という結論を出したのだから、どちらかを選択するしかない。

どちらの道も険しいが、私の生き様を貫くのであれば、答えは一つだと思っている。

勝利を目指して、そして勝利したときに小さな喜びか大きな喜びかは分からないけれど、心底喜べる道を選びたい。

45歳の秋になっても懲りない、人生をさまよい続ける負け犬の遠吠えである。