競馬をやめた先にある世界

やめた先に待っていたのは、やはり競馬でした。一度ハマったらどうなるのかを綴っていきます。

即PAT利用停止

前回の記事で

書いた、ゆうちょ銀行の即PATの利用停止申し込みが完了した。

火曜日に申込書が届き、水曜日の会社帰りに土砂降りの雨の中、投函。

そして、先ほど即PATが使えなくなっていることを確認した。

翌週から、利用停止にしたければ日曜の夕方か月曜のうちに連絡すること。

こういうのを吉日というのか甚だ疑問だが、思い立ったが吉日である。

多少、衝動的だったり刹那的にならないと、こういうアクションはなかなか起こせない。

とは言え

このブログを長く読んで下さっている方にとっては、もう定期的に繰り広げられる、やめるやめる詐欺だと思われることだろうと思う。

正直、僕も自分の心を信じられない。

なので、競馬をスパッとやめるとか、もう一生絶対やらないとか、そういうことではなくて、とにかく自宅を賭場にするのはやめましょう。その一心のみである。

まぁ、この方30年、PATに人生を捧げた人間が何を言っても信用してもらえないと思うが、やっぱり家で馬券を買えてしまうというのは、異常なことだよなと思う。

便利なこと=正しいこと、ではないとつくづく思う。

外でイヤなことがあっても、帰宅すれば癒される。自宅とはそんな場所であってほしい。

それなのに、家に帰ってもイヤなことが起きてしまったら・・・

もういったい、どうすればいいのかなと思う。

私は以前の記事で、帰りの通勤電車が一番ホッとするというようなことを書いた記憶がある。

会社では仕事と戦い、家では競馬と戦う。そんな戦いに明け暮れながら熱く生きることへのあこがれが消えることはないが、あくまでも勝つ見込みがあればの話。

もう、今の自分にできることと言ったら、これ以上悪い状況をつくらない。それしかない。

ひょっとしたら、そういう弱気が、良い状況をつくるチャンスを見落としているのかもしれないが、弱り切った今の自分では、どっちにしてもチャンスという名のピチピチと跳ねる魚を抱き続けることはできないと思う。

とにかく、今の自分にできることは延命して奇跡を待つのみ。

あとはできることなら、馬券を日常の存在から非日常の存在にしたい

イメージとしては、プロ野球が好きでよくテレビで見るんだけど、実際に球場に行くのは年に2回~3回というライトなファンの行動様式である。

そういう緩い気持ちにしておけば、馬券を買わずにレースをテレビで見るのも不自然ではないし、南関東4場のカレンダーが壁にかかっていても、ひいきの野球チームのカレンダーがかかっているくらいに考えれば、全然おかしくない。

競馬をやめる!と肩肘はってしまうと、レースをテレビで見るのもいけないことだと思ってしまうし、競馬のカレンダーなんか捨ててしまえとなってしまう。

現に、いままでの私はこのパターンだったのだが、無理やりそういうことをしても、結局耐えきれなくて、気持ちのバランスを維持できなくなって、また元通りというか更に状況は悪化・・・という繰り返し。

今回のように、とりあえず自宅で馬券を買うのはやめましょうと考えることで、どうにか自分の気持ちを鎮められればと思うし、自分の事を全否定せずに生きていければと思う。

今週のように

馬券を休んだときに限って、あぁ買っておけば・・・という結果が待っていることが多いのだが、もうそれも宿命だと思って受け止めるしかないんだよな。

【後日、追記】

土曜競馬においては、デビュー2戦目・木幡初騎手のジーガーオーシャン(単払2,840円)や、熊沢騎手のタイガーインディ(単払3,080円)あたりが、もしかしたら取れたんじゃないのか・・・と。あくまで終わってから言えることなのかなと思うんだけど、ちょっと心がざわめく感じ。

このへんの馬券を仕留められる力があれば、AIを恐れる必要もないし、年間収支プラスも見込めるんじゃないかと思う。なんか時間が経てば経つほど、心のざわめきが大きくなっていく。