競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

やさしくなりたい

今朝は

月3回の早番だったので、5時20分に起きてヤマザキのチョコとクリームの2色パンをお腹に入れて、5時50分に家を出た。

12月中旬、この時間の埼玉の空はまだ夜。東の空が少しだけ白みかけてきたかな、そんな感じ。

でも、来月の今頃はもっと日の出が早くなっていると思うと、真っ暗な中、会社に向かうのも貴重な経験かなと思えたりして。

いつもだと、セブンイレブンに寄っておにぎり1個買うのだが、今日は仕事が終わったら食べようと思って素通りした。

10月中旬から

1月上旬までが、私の仕事が一番忙しい時期。特に真ん中の11月中旬から12月上旬がスーパー地獄モードである。

12月上旬・・・ということは、スーパー地獄モードが終わって、来週からは地獄モードでのプレイという感じか。

まだ地獄モードなので、しんどい毎日は続くのだが、とりあえずスーパー地獄モードを突破できたという安堵感でいっぱいなのは正直な心境だ。

だから、

と言ってしまうと言い訳になるが、派遣の仕事は11月以降一度も行っていない。

正直、しんどくなってしまったのもある。

やっぱり、日雇い派遣という立場はつらい。仕事そのものもつらいけど、精神的につらい。

こっちの都合で働く日を決めさせてもらって、賃金もらっている以上、そんな偉そうなことを言う資格はないことは分かっているんだけど。

あと、ドタキャンが許されないというのもあるので、本業の仕事が終わらないと土曜出勤という状況の中では、派遣の申し込みはできない。

時々メールで、急なお休みが出てしまったので緊急募集します!といったメールが派遣会社から届くのを見ると、本業より厳しいなと思う。

派遣の

仕事で稼いだお金も、ライオンボスにぶち込んでしまい無にしてしまった私だが、派遣の仕事で得た経験というのは、間違いなく46歳の僕を成長させてくれた。

上に書いたスーパー地獄モードの期間は、10日間ほどの短期スタッフを12名ほど雇って、私ともう1人の社員がリーダーとなって、1つのイベントを完結させる。

2チームに分けても社員1人で6人のスタッフの対応をしなければいけなくて、とても僕にとって(誰でもそうかもしれないけれど)しんどい作業である。

で、昨年までだと、お願いすべき仕事(定型的なんだけどちょっとイレギュラーな要素がある仕事)をなかなかうまく振り分けることができなくて(説明できなくて)、結局最後は自分が苦しむ(サビ残になったり、過重に仕事を抱えてしまったり)ことになってしまっていた。

まぁ終わってみれば今年も苦しかったんだけれど、今年はお願いすべき仕事をしっかり振り分けることができるようになったな、と思った。

それってやっぱり、派遣の立場で仕事をした経験がホントに大きい。

実際、派遣の現場での仕事は初めて経験することばかりなのだが、説明を受ける時間は本当に僅かで、すぐに作業が始まる。

だからお願いすべき仕事は、迷わずお願いしようと思った。僕だって派遣先で不安はあったけど、お金をもらう以上は大変な作業でもやる心構えでいたので、とにかくお願いしちゃおうと。

説明の仕方も、派遣の現場で説明を受けたときの仕方を真似てみた。

そんな甲斐もあって、真に自分でないとできない作業に力を注げたし、お願いした作業の品質も全然問題なし。

いろんなポジションで仕事をした経験が視野を広げてくれて、結果的に自信になった。

今週の仕事が無事終わって、夕方5時に大宮駅東口のつくばで食べたたぬきそばは、心に沁みた。

今年

実感したこと。

・誰でもできる軽作業といっても、実際は誰もができるわけではない重労働

・本当に苦しい立場になると、声を上げることもできなくなる

よく、ネットの求人情報を見ると「誰でもできる軽作業です」とか書いてあるが、もう全然違う。

まず、軽作業とは「機械を使わず人力でできる作業」という定義らしく、それだと重い台車を100往復以上運んでも軽作業。

それに単純作業ほどスピードが求められるので、無理な人は無理。

あと、2つ目については、本当に苦しかったり疲れきったりしてしまうと、その境遇から脱出したいという気持ちはあっても、疲れ切ってしまったり余裕がなくなってしまって、投票に行くとか、自分の思いを他人に伝える気力もなくなってしまう。

それは、派遣の仕事をしていても感じたし、本業の仕事でもスーパー地獄モードのときは、普段だったらラクラクやれる、同僚からのちょっとした頼まれ事もこなせなくて。

毎日、実況中継を綴っていても、書きたいことはあるのに全然まとまらなくて・・・

だから、この国に渦巻く投票したくてもできない人たちの気持ちに思いを馳せるのも大事だよなと思ったりもして。

そう思うと、バラマキだって決して無意味なことではないと思うんです。

苦しい中でも

僕の心を支えてくれたのは、やはり音楽で・・・

最近は、やはりストマック氏の影響か、尾崎豊の「僕が僕であるために」を口ずさむことが多かったのだが、なぜか3日ほど前、急に永井真理子の存在を思い出して・・・

一番好きなのが「やさしくなりたい」なんだ。

30年たっても、とてもみずみずしくて。私の頭の中でヘビーローテーション中。