2月が
終わろうとしている。
1月23日のAJCCから2月27日まで、36日間で約320,000円の敗北を喫してしまった。
年末年始を凌いで、3月からの逆襲をこのブログでも誓っていたのに、些細な心の乱れから、最悪の事態を招いてしまった。
その中には、単勝10,000円勝負でのハナ差負け2回、大井競馬、川崎競馬、そして浦和競馬での惨敗、競馬で味わいたくないことのフルコースとしか言いようがない。
そして3,000,000円を割った借金も、気付いてみれば3,500,000円が見えるところまで来てしまった。
自分でやっておいて言うのもなんだが、神の見えざる力に操作されているような感覚だった。
ギャンブルの悍ましさ、引き込まれる力の強さを思い知らされた。
なんで
心がぐらついてしまったのか。
昨年11月、12月。仕事が一番忙しくて、競馬に逃げ込みたくなる時期なのに、競馬に頼らずに仕事から逃げずに、年末まで頑張ることができた自分がいた。
年末年始の休暇中も、大井と川崎の誘惑に懸命に耐えた自分がいた。
全ては自分が悪いのだけれど、やっぱり心がぐらつき始めたのは、前年から楽しみにしていた、1月15日(土)~16日(日)に予定していた長野への家族旅行を、コロナ禍のために中止せざるを得なかったことかな。
少しコロナ禍が落ち着いて、ようやく出かけられるかなと思って、両親のために、妻と息子のために企画したのに、成人の日の3連休の頃からオミクロンが爆発。
キャンセル手続きをせねばならない悔しさ。
なんで、他の人たちが年末年始にいい思いをして、そこまでまき散らされたオミクロンのせいで、これからいい思いをしたいと思っていた自分たちがトバッチリを受けないといけないのか。
前回の記事でいうところの
④.他人に押し付けられた不幸せの素
である。
正直、世の中を恨んだ。コロナ禍を恨んだ。同時に自分の運の悪さが本当に悔しくて仕方がなかった。
なんか自分を満たしたくて仕方がなかった。
あとは、年明けになればラクになると思った仕事が全くラクにならない。
楽しみだけ消えて、なぜ苦しみだけ残る?
とにかく自分の中で不満が溜まっているのが分かった。
元旦から妻に泣かれてしまい、不甲斐ない自分に苛立つ毎日。
浦和競馬で少し遊べたものの、最終競走で勝負した馬は競走中止という歯がゆい結末。
2月まで耐えて、3月から西田厩舎の馬だけに絞って勝負という私の心の堤防は、1月23日に決壊してしまった。
自信を持って挑んだ、AJCCはあっけなく壊滅。10,000円が飛んだ。
翌、1月24日は、惹き込まれるように大井競馬場へ。30,000円余りが飛んだ。
この日から、頭の中は競馬競馬競馬、挽回挽回挽回・・・それしかなかった。
それでも、1月30日はテイエムサウスダンで複勝ながら悪い流れをストップ。大井分の負けを挽回した。
よし、残りは2月4日の川崎で挽回しようと思った。大井の過ちを地方で取り返しておきたかった。
振り返ると、本当の過ちはここからだったのかもしれない。
浦和競馬場の場内放送もない中での勝負。また30,000円余りが飛んだ。
再び頭の中は、挽回挽回挽回挽回挽回挽回、絶対挽回するしかない。
PayPay銀行を開設し、再び在宅投票を可能にしてしまった。
2月5日は単勝10,000円の3番勝負。2敗して迎えた3戦目。小倉のかささぎ賞。
猛吹雪の中、猛烈な勢いで追い込んできたエクレール。ハナ差届かなかった。
2月6日は、秋山真騎手のメテオフリューゲルで単勝10,000円勝負を決めたが、そのあとが続かず敗戦。
とどめは2月12日。洛陽ステークス。ダーリントンホールが抜け出して、ついにやったかと思ったが、ハナ差交わされた。
もう、これが自分の中では限界だった。
ファイティングポーズだけは崩さなかったが、心の中は不安と不満と苛立ちで、もうどうにもならなかった。
2月20日のフェブラリーステークスが今思えば最後のチャンスだったが、テイエムサウスダンを信じきれなかった。ここでこそ複勝だったが、勝負に出れなかった自分が本当に情けなかった。
さらに2月の浦和開催で50,000円の敗北。2月最後の土日は賭け金は下げたものの、それでも12,000円の敗北。
まとめて
ドカンと勝負する覚悟があれば、どうにかできただけに自分の心の弱さが本当に悔しい。
ただ、その一方で2月最後の土日に賭け金をグッと下げたのが、自分の心の弱さに因るものだとしたら、それはよかったことなのかなとも思う。
もし2月までに耐えられていれば、今頃は次の週末からの勝負に向けて胸も高鳴っていただろうし、借金もこんなことにはなっていなかっただろう。
本当に悔しい、本当に苦しい。
今の僕の思いを正直に綴る。
もう遅いかもしれないけれど、やっぱり西田厩舎の馬に絞って勝負したい。
もし、この1か月少しで失った320,000円で何か教訓を求めるとしたら、まともに全レースを対象にして、競馬にぶつかっていったとしても結果は出ないということ。
そのためだけに320,000円も・・・と読者の方は思うだろうが、そこまで痛い目をみないと、考えを改められないクズ人間なのである。
23年後、2045年2月26日(日)、西田調教師引退の日。その頃わたしは70歳、息子は30歳。
どんな人生が待っているのか。そのときまで自分の思いを貫けているのか、それとも挫折してしまっているのか。
この記事が、自分にとって幸せのターニングポイントになっていることを願うのみ。