競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

中山競馬場の食堂「下辰」年内いっぱいで閉店

実は

8日の日曜日、久しぶりに中山競馬場に足を運んだ。

馬券は即PATで購入したし、グリーンチャンネル無料放送(実は、競馬場のレープロを見て知った)だったのだが、現場の空気を感じてみたくなったのだ。

馬券の結果は、前回の記事で綴ったとおりなのだが、私にとって別な意味でショッキングな出来事があった。

表題のとおり、中山競馬場地下1階のレストランプラザにある「下辰」が年内いっぱいで閉店と知ったからである。

私は、この30年間で、少なくとも200回は食事をさせてもらった。

中山競馬場に足を運んだら、必ずといっていいほど、朝ご飯を下辰でいただいた。

そして、ほぼ毎回のように下辰そばを頼んだ。

勝利へ向けてのゲンかつぎでもあり、土曜日の朝に下辰そばを食べることを目標に1週間の仕事を頑張ったといっても過言ではない時期もあった。

特に、1回中山や1回東京の季節の下辰そばは、心も体もあったかくなって、いつもに増して美味く感じたものである。

ただ、結婚して、妻が妊娠し、息子が産まれると競馬場に足を運ぶ機会もなくなった。

それでも、息子もひとりでトイレができるようになり、やっと私ひとりで息子を競馬場に連れていけるようになり、今年の9月には初めて、息子と一緒に下辰で食べることができた。

しかし

入口で食券を売っている、お母さんから「今年いっぱいで閉じるのよ」と聞いた時には驚いた。

と同時に、もう下辰そばが食べられなくなると思うと、自分の中でひとつの時代が終わるなとも思った。

ただ、お母さんから「もう80歳で53年間お店を続けてきた」という話を聞くと、悲しいという気持ちよりも、本当におつかれさまという思いの方が大きい。

食券売り場の壁の上のほうに、お母さんが書いた絵が飾ってある。

「これからはゆっくり、こんな絵を描いて過ごしたい」という。でも私が食券を買うときは頭の中は競馬のことでいっぱいで、絵が飾ってあることさえ気づかなかった。

私の両親と3人で、大学時代からの友人と2人で、もちろん1人で、そして息子と2人で・・・

一番思い出深いのは、開門はしたものの大雪で10時の時報と同時に東京競馬中止のアナウンスが流れた日。

そんな日も、下辰は店を開けていて、お母さんは「よく来たね」と笑いながら、「いつものね」と下辰そばの札を渡してくれた。

代替競馬になると、「また明日も開かなきゃ、でも儲からないのよね」とちょっとだけうんざりしていたのも記憶に残っている。

ライフスプリングで初めての口取りをした日も、チャイニーズフレアが未勝利を勝ち上がった日も、もちろん惨敗した日も、下辰から私の1日は始まったのである。

最近は下辰そばと一緒に肉豆腐を食べるのが、私にとっての至福の組み合わせである。

2品あわせて900円。 

86年の歴史を味わっていただきたいと思う。最終営業日は12月28日。