競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

負の感情ばかり湧いてくる、もうやめないと

夏競馬が

終わった。結果は見てのとおりである。

ルメール騎手のおかげで零封を免れるのが精一杯って書いたの、今回が初めてじゃないよなと思う。

土日トータルでドローを目指すと高らかに宣言したものの、終わってみれば土日トータルで88,000円のマイナスとなってしまった。

負けると心は落ち込むものだが、今の落ち込みは、通常の落ち込みよりもワンランク激しくて、これは来週以降休養のパターンである。

厳密に言うと、落ち込んでいるというよりは、力が抜けてしまって、負けてしまったなハハハハ・・・という感じである。

だって

もうどうしようもないダメな負けっぷりだったから。

最初のレースから思いっきり不利を喰らってしまって、その後も惜敗もあれば惨敗もあり。とにかくいいところがなかった。

メイショウオニテも、今日は全く前走とは別馬のようになってしまって・・・

あとは、普段からよく買っている馬主さんの馬を、なんか嫌ってしまって買わずにいたらズドンと来られてしまって。

土曜のクオンタムだったり、日曜のタミオスターだったり、カシノフォワードだったり、あんまり深く考えずに応援馬券的に買っていたら結構な儲けになっていたんじゃないかと思うと、本当に不甲斐ないし、自分に対して怒りがこみ上げるばかりである。

でも、狙い撃ちしようとすると、あっけなく散っていくし。

本当は楽しくなきゃいけないレース観戦が、苦痛極まりない行為になってしまった。

4.8倍とか3.2倍の馬券をやっとこさっとこ当てて、ハァーって安堵のため息をついている自分って、どんなにしょぼい人間なのかなと思う。

そんな姿を息子が見たら、妻が見たら、どう思うのだろうか。

イヤだよな、絶対にイヤだよな。

でもなぁ、だからと言って会社で働いているときの姿だって、そんなかっこいいもんじゃないし。

特別な資格があるわけでもない、特別なスキルがあるわけでもない、特別な人望があるわけでもない。

頭の悪さと作業の遅さを、根性と残業でどうにか繕っているだけである。

本当に歯車として、他の歯車と犇めき合いながらの毎日。

ビジュアルだって、鏡をよく見たらだいぶ老けたなと思う。自分では若いと思っていたがやっぱり40代のおっさんという感じである。

なんとか競馬で生きる自信を取り戻したいと頑張ったつもりだったが、結局は事態を悪化させただけだった。

こんなことを何度も何度も繰り返して、人生は既に折り返し地点を過ぎてしまったと思われる。

まぁ、競馬で勝てないとなると、もうとにかく息子を1人前に育てることと、両親を看取ることと、妻に苦労をかけないこと、もうそれしか私の生きる目的はない。

平凡な毎日か、悪夢な毎日かの二択しかない人生。僕自身が輝くことはもうない。

自分に

対してだけでなく、競馬に対しても負の感情しか湧いてこなくなった。

新潟最終の雷光特別、ゴールを過ぎてから激しくガッツポーズをしている騎手がいて、誰かと思ったら、原だった。

来るレースが違うんだよ、クソ!という感情しか湧いてこなかった。

馬や騎手や競馬関係者にリスペクトできない時点で、人としてもダメだし、ギャンブラーの端くれとしてもダメだなと思った。

雷光特別は私にとって、ちょっと特別な競走である。

夏競馬の最後を締めくくる競走でもあるし、かつては生きる勇気をもらったこともあったが、もう今となってはそんな記憶も虚しく感じるばかりである。

負けてるくせに、たまにいい思いをした記憶がすごく頭に残っていて・・・

余計つらくなる。

そういう華やかで輝いた記憶が、僕の心を離してくれない。

自分にとって大事な記憶なんだけど、自分の手でたたきつぶさない限り、ますます追い込まれていくことになるのは明らかだ。

もし自分が競馬をやる資格を再び得るとしたら、それは借金を全返済したときなのだろうが、そんな日はやってくるのだろうか。