競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

競馬も仕事もない日がやって来る

一瞬だが

私にとって、本当の休日がやってきた。

今日は、有給休暇。

最近は、いろんな仕事を掛け持ちしているので、1日休むためにも、あちこちに頭を下げながら調整しないといけない。

正直、休むのも面倒とすら思うのだが、やっぱり会社を休めるというのは嬉しいし、8月の終わりに休みを取りたかったのだ。

なぜなら

息子のためである。

思えば、この夏、私と2人で電車に乗ってあちこちに出掛けたことはあったが、いわゆる観光スポットに出掛けたことはなかった。

そして、私と妻と家族3人で外出することもなかった。

実家に行くか、うなぎ屋に行ったくらいだ。

妻は子供といつも一緒なので、せめて私が休日のときは、一瞬でも息子から釈放させてあげたいし、何より私が全開催日競馬に参加しているので、土日に一泊旅行という話も全く出ない家なのである。

今日のような、競馬のない、気持ちが落ち着いている日に冷静に考えると、ちょっとかわいそうだなと思う。

なので日帰りでもいいので、今年の思い出になるような場所に3人で出かけたいなと思ったのである。

妻も3人で出かけることには賛成で、仕事も家に持ち帰らず全部会社に置いて(当然のことなのだが、私にとっては珍しい)帰ってきた。

とにかく、息子の気持ち優先で1日過ごそうと思った。

ところが

息子は熱を出してしまった。

僕にとっては、本当にささやかな家族サービスのつもりだったのだが、もしかしたら息子は、私が思っている以上に楽しみにしていたのかなとも思った。

何か嬉しいことがあって、興奮しすぎると、この子は具合が悪くなることがある。

私が今年の2月に、アイアムジュピターで単勝5,950円を当てたら、すごく喜んで興奮していたのだが、その日の夜中に、布団に思いっきり吐いてしまい、我が家は大惨事となった。

他の家でも、旅行の直前に子供が体調を崩して・・・という話を聞くが、やっぱり大人が想像している以上に楽しみにしていて、それが逆にストレスになってしまうのだろう。

朝、起きたときの様子を見て、どうするか決めたいと思う。

となると

頭の中にモヤモヤモヤと湧き出てくるのが、お・お・い である。

ただ、今日ばかりは参戦するつもりはないし、やっぱり地方競馬は昼間に開催してもらいたいものである。

私の中での密かな楽しみは、朝は通常通り出勤して午後休をとり、あそこに行くことである。

あそこに行って勝てればもちろん嬉しいし、仮にケツの毛まで抜かれても、自分の実力不足を改めて思い知り、翌日からの仕事を頑張るという心の洗濯ができればいいのだ。

実は、あそこだと、単勝の他に馬連とか3連単で勝負することもある。

JRAとあそこは別な世界と割り切っているので、普段のフォームを崩してもいいのだ。

なので私にとって本当の自由が存在する場所は、あそこなのである。

滅多に行けないから、いいのかな。

でも、繰り返しになるが、今日は競馬は休みだ。

ただ

家族で楽しい時間を過ごしたあと、夜になって自分の時間になったら、今後の仕事や競馬のことを考えたいと思う。

まず仕事だが、とにかく頑張ろう、難しい仕事であっても逃げずに取り組もう、早く終わらせよう、自分から動いていこう、そして気持ちよく週末を迎えよう!

そんな気持ちでやってきたが、気持ちだけではどうにもならない場合もある。

四方八方、すべてを丸く収めようと思うと息苦しくなることがある。

「四角い仁鶴がまぁるく・・・」とは行かないのである。

実は先週の競馬も、ちょっと仕事の面で心配事を抱えながらの戦いだったのだが、やはり結果は芳しくなかった。

やはり単勝馬券はシンプルなだけに、心のコンディションの善し悪しが、すごく結果を左右するような気がするのだ。

実は、仕事で大きな失敗をしたりとか体調が最悪なときに大きな馬券が取れることがあったりする。

でも大きな失敗とかしたくないし・・・

年をとって、息も絶え絶えになって死にそうなときに「当たったら葬儀代の足しにしてくれ」と言って、最後の単勝勝負を決めることができたら、カッコいいだろうなと思うが。

年間約104開催日もあれば、仕事がうまく回らない日もあるだろう。

そんなときでも、どうすれば「冷静に」「勇気を出して」「一歩踏み込んだ」馬券を買えるのか。

競馬は心のトレーニングだと、つくづく思うのである。

武道と同じ、まさに馬券道である。