競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

ワクワクする予想を

火曜日、水曜日・・・

とりあえず2日、頑張って仕事をすることができた。

今の自分にできること、仕事を頑張って給料+残業代を稼ぐことである。

いくら頑張っても、すぐに給料(固定給部分)がアップすることはないが、次回の査定の評価材料になるかもしれない。

負けた状態で仕事してイライラすることはないのか?というコメントをいただいた。

確かにウンザリした気分になるし、イライラもするといえばする。

でも周りに辛く当たるとかはない。

なぜなら、そんなことしたら会社での居場所がなくなる。僕はそんな偉い立場ではない。

女子8割強の部署である。私より気持ち的には逞しい人たちばかりである。

前の部署でボロボロになった自分を、最後のチャンスということで拾ってくれた部署だ。

だから自分の心の中で歯をくいしばって、悔しさを仕事の原動力にするという感じなのかな。

金銭的にも数千円の負けなら埋めることができるし、馬券の負けを仕事に癒してもらうという感覚である。

じゃあ

別に競馬なんかしなくても、心穏やかに暮らせるじゃんと思うだろう。

でもやっぱり、しんどいなと思う仕事も当然ながら多々あるし、このまま息抜きもせずに走り続けたら絶対病むと思うときもある。

私の会社はホワイトかブラックかと問われたならば、まず間違いなくホワイトなんだけど、それでもやっぱりいろいろある。

残業すんな、でも作業終わらせろ的な指示。

すんなと言われても、すれば残業代が出るのがホワイトだなとは思うのだが。

でも、そんなときやっぱり週末の競馬を心待ちにしている自分がいる。

馬券で勝つこと

以前の記事でも書いたが、それは自分にとって最高の栄誉。

と同時に自信になるし、仕事への頑張りにもつながる。

仕事の頑張りは報酬につながり、報酬は妻と息子の幸せの足掛かりになる。

仮に馬券で負けても、競馬があるおかげで仕事が頑張れて負け金以上に報酬を増やせれば、それも立派な勝ち組。

とは言え、それすら叶えることができていない負け組に甘んじている自分がいる。

勝つために何が足りないのだろう。

『狙った馬を心の底から応援できていないのではないか?』

2回目騎乗だからだとか、成績がいいからとりあえず買ってみるとか、そんなに気持ちが上がらない、ワクワク感がない予想をしてしまっている感じの自分がいる。

2019年夏の新潟・雷光特別のピカピカのように、休み明けだろうが、調教評価Dランクだろうが、そんなの関係ない絶対買うんだみたいな勝負をしたい。

ちなみに今年の私にとっての会心の予想は、2月東京のメテオフリューゲルである。

秋山真一郎騎手がわざわざ1Rの未勝利戦に乗るために東京まで乗りに来たレース。

絶対来るだろうと思ったし、絶対来てほしいと思った。

競馬には

いろいろな要素があり、ある特定の要素に注目するのはアリだと思う。

でもどんな要素から分析しても、結局は払い戻し率の壁に阻まれてしまう。

それは1つの要素で分析しても、複数の要素で分析しても同じ。

それなら、要素を超越したワクワクするような予想をしたほうが絶対に楽しい。

だから10戦連続で狙い続けるとか、そんな馬がいてもいいのかなって。

ただ、惰性でワクワクもしないのに、買わずに来てしまった!というのを恐れて買い続けるのはNG。

北海道シリーズの丹内騎手を狙い続けていたら、それはそれは楽しい毎週だっただろうと思う。

思えばウインキートスの目黒記念も丹内騎手だった。ただあれば超スローの超ラッキー勝利と僕は解釈してしまって、騎手も馬も評価を上げることはしなかった。

でも前走大惨敗からガラリ一変があるかもと、穴はこれだろうとワクワクしていたのは確かだ。

騎手成績がイマイチでも、そんなの関係ねぇよという結果だったな、今思えば。

だから

今度の週末は原点回帰。ワクワク感を重視する予想をするのみ。

9回裏、2アウト2ストライクに追い込まれた打者がワクワクした気持ちになるのは難しいのは承知だが、競馬に人生をささげてきた人間の執念のフルスイングを見ていただきたいと思う。