競馬を続けた先にある世界

ギャンブル障害を抱えながら、それでも競馬で勝ちたい思いを捨てられない40代おっさんのブログです。

潔さを大事にしたい

先週も

競馬を止めることができた。

しかし、レース結果を見てモヤモヤしたり、こんなにつらい思いをしてまで競馬を断つ必要があるのかと悶々とした気持ちになってしまった。

その原因となったのはヤマニンアンプリメ号、鮫島良太騎手である。

ヤマニンアンプリメは昨年12月の高砂特別で、私が単勝で勝負したピースマークを豪快に差し切った、いわば引導を渡された馬である。

その後、年明けの山科Sも制し私の予想が至らなかったと思ったものである。

ところが

先週の安芸Sの不完全燃焼なレースを見て、なんか納得いかないなという気持ちがどんどん大きくなってきた。

なぜ、高砂特別のときに限ってあんな豪快な末脚を繰り出したのだろうか?

なぜ、高砂特別のときに限って鮫島騎手は神騎乗をしたのだろうか?

私にとって、高砂特別は本当に精いっぱいの予想だった。

賭けた金額も精いっぱいだったし、精神的にもぎりぎり追い詰められた状態で、それでも少しでも冷静な気持ちを保とうとした。

そんな中で導き出したのが1200メートル初挑戦のピースマークだった。

ピースマークは、私の期待通りにハナを奪い本当に最後まで頑張った。

窮すれば通ずるのだと思った。

そんな渾身の予想を踏みにじった馬と騎手が、なんだか中途半端なレースをしているのを見て、舌打ちを何度もしてしまった。

今日みたいなレースを、あのときもしていればよかったのに・・・

しかし

私の考えは間違いなのである。

何が間違いなのかというと、昨年の高砂特別で勝ったのはヤマニンアンプリメという事実を納得できていないことである。

今回のレース内容がどうであろうが、事実は受け入れないといけない。

事実を素直に受け入れられないと、同じ過ちを再び犯すことになりかねない。

「同じ過ち」と聞くと1頭の馬を思い出す。

ラインスピリットである。

オープン特別3勝のいわゆる「オープン大将」である。

私は未勝利戦でこの馬の単勝を的中し、いい思いをさせてもらっているにも関わらず、以後一度も単勝を当てられない。

正直、森一馬騎手ということで一段低く見てしまうのである。

そして勝たれる度に後悔することとなった。

今週末の函館スプリントステークスは重賞なので、勝つのは難しいと見たが果たして・・・

話を戻す

こうして綴ってみると、私に足りないのは潔さなのかなと思う。

プロセスはどうであれ、負けた事実を受け入れ認めることが大事なのかなと思う。

開き直りは、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。

これは競馬だけでなく、仕事でも大事なことだと思う。

誰かから指摘を受けたら、言い訳をせずに受け入れる。

私はどうしても言い訳をしてしまう癖がある。

潔くないのである。

思えば、恋愛でも潔くなかった。

もう断わられているのに、まだ本当の自分を分かってもらっていないと勘違いしてアピールを続けてしまうことが多かった。

相手の女性は一瞬接しただけで、自分のことをお見通しだったのだと思うが、それに気付くまで、私はずいぶん時間を要した。

うまくいくときは、自然にいい雰囲気が生まれて、笑顔で相手の女性も話をしてくれるのである。

ずいぶん

話が迷走してしまったが、競馬だけでなく最近のニュースを見ると、いま必要なのは潔さだと思うのである。

ヤマニンアンプリメにも、鮫島良太騎手にも罪はないのである。

ずいぶん悪い書き方をしてしまったが、これでケリをつけるのでご容赦願いたい。